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『アート・ヒステリー』なんでもかんでもアートな国・ニッポン [BOOK]

大野佐紀子さんの二作目の著書をamazonで購入。前作『アーティスト症候群』で一億総アーティスト化している日本の現状を痛快に指摘し、さらに第二弾のこの本では日本の美術教育の問題そして学校教育の問題点までをも指摘しており、個人的には同意することばかりです。
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美術教科は「一人ひとりの人間が豊かな可能性を持っている」事を前提に「創造的な人間の育成」を目的とするもので、文科省の方針は基本的にこのようになっています。
しかし具体的にどうすれば良いかという規範は示されておりません。
美術以外の教科においては、読み書きや四則計算が出来るように小学校から訓練されているにもかかわらず、美術に限っては知識や理解を深めるような「美術教育」は行われず、「個性」「自由」「創造性」を賞賛することによって自由放任に子どもの自主性に任せた教育(?)が行われているのが実態であります。
子どもたちにとってこれでは、何をしていいのかさっぱりわからず、結果「おれ様流」の作品ができあがり、それは自分の分身でもあるわけですから、それに対して評価されることは自己否定にもつながり、最終的に美術を嫌いになると言う悪循環がまかりと通っているわけです。

この「オレ様流」は美術に限らず、ゆとり教育で育った世代には顕著に見られる傾向で、例えば私の会社の近くにあるビジュアル系の専門学校の生徒たちをみていると、「この子たちは何をしたいのだろう?社会に出たときにどうなるのだろう?」といつも心配してます。実際デザイン会社に入社してくる若者にたいして、私の会社では一から地道に技術を教える、徒弟制度に近い感覚で学ばせています。はっきり言って個性は二の次です。まず与えられた課題を解決する技術を徹底して身につけてもらいます。一般的な企業が体育会系の学生を好むのは大いに頷けますね。

そもそも美術は「個性」だけで成り立ってる世界では無いことを知らなければ、作品から様々な背景が読み取れると言ったことにも気づかないし、美術を形成してきた歴史や社会や経済の仕組みにも目が向かないわけです。
最近アーティストの村上隆が日本の美術教育のあり方を嘆いており、芸大生のレベルの低さに驚いているようで、彼の会社「カイカイキキ」では徹底して挨拶から鍛え直しているようです。
「オンリーワン」が大事と日本中が勘違いしてる結果、マスターベーションに陥っている日本の美術教育、アート界に対して村上は相当の憤りを持って、世界のアートサーキットで戦える若者の育成に躍起になっているようですが、この本を読むとたしかに村上の考えが正しい事がよくわかります。


この著書中でも引用している『オレ様化する子どもたち』諏訪哲二著のなかから、少し長くなりますが引用します。

「個」が自立する前に「個」を超える「普遍的なもの」に出会う必要があるし、そういう「普遍的なもの」によって「去勢」されなければ「個」は自立しようがない。俗に「個性」を大事にしないと「個性」が潰されてしまうと危惧する人が日本人には多いが、市民形成(「社会化」)のプロセスで潰されてしまうような「個性」は潰されるべきである。そういうレベルの「個性」を潰すために、「社会化」はなされるのである。「社会化」されているあいだになくなってしまうようなものは、「個性」ではない。まさに、「個性」が「個性」ありうるために「社会化」が必要なのである。「個性」は育てられたり教育されるものではない。(中略)「個性」は、「社会化」される過程で、「社会化」に還元されないその「個」の個別性として浮上してくるものである。それぞれの「個」の「社会化」は、まさに社会(共同性)から強制されねばならないが、その「個」がひとつの強烈な「個性」として自己実現していくかどうかは、教育の内部(レベル)の問題ではなく、まったくその「個」の自己決定の問題なのである。


アート・ヒステリー ---なんでもかんでもアートな国・ニッポン

アート・ヒステリー ---なんでもかんでもアートな国・ニッポン

  • 作者: 大野 左紀子
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2012/09/26
  • メディア: 単行本



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